気まぐれ日記 2022年9月

2022年8月はここ

9月1日(木)「月例ルーチン・・・の風さん」
 ボケ老人でも時間の経過の速さを認識している。もう9月だ。月例ルーチンは3回に分けているので、今日は、洗面所の排水管と鏡、空気清浄機の掃除と脱臭剤の補充をやった。
 会社の先輩から電話で質問があり、私では答えられなかったので、元同僚の二人に聞いてみた。私の頼りない記憶とはけた違いの正確さで教えてもらえた。先輩へ回答できて満足した。
 児童書の原稿の改善に取り組んでいるが、昨夜、新しい情報を入手したので、編集者へ送った。編集者からも連絡があり、この情報は役に立った。残る課題は一つで、アイデアや発想が必要だ。原稿の改善の中でひらめきを期待しているが、その起爆剤になるように、3冊の本を並行して読んでいる。もっとこういった刺激が必要だ。
 下旬のキャンペーンの旅のための準備も始めた。だいたいの日程を決め、相手の都合を確認し、ホテルや新幹線の切符、レンタカーを確保できれば、準備はほぼ完了となる。
 来月後半の上京計画も検討に入った。新型コロナが徐々に下火になって行ってほしい。

9月2日(金)「文庫の見本が届く・・・の風さん」
 昨日に続いて、月例ルーチン。最後の今日は、レンジフードの分解掃除とリビングの天井の染み取りだ。たいした仕事じゃないけれど、すぐ疲れてしまう。結局、休み休みやるしかない。
 今月出版される2冊のうち、文庫の見本が早くも届いた。ちくま学芸文庫で『遊歴算家・山口和「奥の細道」をゆく』である。7年間、日本数学協会の『数学文化』に連載した短編集である。挿し絵や私が作成した地図などが、しっかり挿入された。小説としての面白さだけでなく、実際にそこへ行ってみたくなる誘い水をちりばめたことになる。山口和は現代人の観光旅行とは違った歩き方をしているので、これは興味をひくだろう。長く残るだろう作品を出版できて、とてもうれしい。
 こういった作家としての動きがこれから続く。現在、執筆で多忙だが、年内は、SNSなども駆使していこうと思う。
 明日は、3回目の猫カフェだ。保護猫カフェの猫を引き取る最悪のケースと最良のケースを、小説家らしく創作したが、はたしてどちらになるだろう。

9月3日(土)「最悪のケース・・・の風さん」
 ちくま学芸文庫の出版契約書にサインし、歩いて投函してきた。今回の出版の出来次第だが、これからもお付き合いを続けたい。
 帰宅してすぐ、長女が到着した。モチベーションが最高潮になっている。
 焼きそばのランチ後、家族3人で出陣(笑)。
 保護猫の引き取りは、最悪のケース(あるいはそれ以上)となった。ケージの外からの働きかけに、前回よりも慣れた印象があったが、30分くらいして、いよいよケージの扉を開けて、中から出そうとしたら、猫はパニックになった。元々人慣れしていなかった猫で、猫部屋の中では落ち着くことがなく、約1年間、ケージの中に隔離されていたのだ。成熟した野性の猛獣を慣らすことが難しいのと同じだということを学んだ。おそらく同様の人間の場合よりも難しいだろう。
 手を引っ掛かれて出血したが、その痛みより、心の痛みの方が大きかった。
 結局、長女お気に入りのキャットキャリアーは空のままで帰宅した。
 私は精神的に疲れて昼寝せざるを得なかった。
 今日、家族が一匹(猫のこと)増えることを想定して、次女からキャットタワーが送られてきた。
 明日また保護カフェに行くことになった。新しい猫が入ってくるという情報があった。
 晩御飯後、児童書の原稿の書き直しをした。就寝は午前3時。

9月4日(日)「また保護カフェ、また徹夜・・・の風さん」
 リビングにキャットキャリアーとキャットタワーが空しく置かれている。
 新顔を楽しみにまた家族で保護猫カフェへ出かけた。猫好きにもほどがあるか(笑)。
 長女は、昨日パニックを起こした猫が忘れられず、ケージ越しに慣れようと努力していた。
 新顔は、グレーの猫が3匹とさび猫が2匹だった。グレーのオスとメスを抱いてみた。飼える可能性を感じた。メスの方がやさしそうでいい。さび猫は皮膚病の治療中で、ケージから出せないため、ケージ越しの交流だったが、まだ子猫だったし、何となく2年前に死んだちび助に似ていて、強烈に胸をゆさぶられた。ワイフも同感で、今日も決められなかった。長女は、何か月かかっても通って、パニック猫と仲良くなるのだと主張する。遠方にいる次女にあとで写真や動画を送って、一緒に迷ってもらった。今回は保護猫ということで、本当に勉強になる。
 1週間前と同じレストランで晩御飯を食べ、長女を名古屋まで送って帰宅した。
 その後、ひと休みし、児童書の原稿修正に取り組んだ。あと1章というところで、夜が明けた。1日遅れになることを編集者へ伝えた。こちらも難産だが、徐々に調子は上がっている。

9月5日(月)「第2稿が完成・・・の風さん」
 昼前にやっとこ起床(笑)。不規則な生活が続いているので、日時を正確に把握できない。天候不順をのろっても、その言葉がむなしく自分に返ってきそうだ。
 ランチ、ルーチン後、昨日の保護猫カフェの結果をオーナーへ連絡しておいた。次回は2週間後になるが、もう先が見通せない。高いモチベーションを維持するのはむずかしい。私の多忙さも、次のフェーズに移りつつある。
 とにかく、児童書の原稿修正を終えねばならない。あと1章、最終章だけだ。
 起床直前に、あれこれと夢想したことを最終章に盛り込むことにした。原稿修正とは言っても、文章表現を直すことがメインではない。不足しているドラマ性の注入である。そのため、説明的な文章は削りながら、場面(シーン)を作っていくのである。
 人間ドックの結果が届いた。精密検査が必要という項目がなかったので、ひと安心。しかし、詳細に見れば、数値の悪化はいくつかある。ま、来年までは大丈夫かも。来週のクリニック受診でかかりつけ医にチェックしてもらおう。それと、心臓病の質問だな。
 晩御飯・ニュース視聴後、児童書の修正に復帰した。徹夜にはならなかったが、午前2時半ころまでかかった。第2稿の完成だ。編集者へ送付し、シャワーを浴びて、読書後やっと就寝。午前4時だぜ。

9月6日(火)「スケジュールの谷間に・・・の風さん」
 雨が降っていなかったので、歩いて投函してきた。往復で約千歩。
 昨夜送った第2稿でゲラの形にしてみるとのことだった。来週の京都取材後、原稿修正があるとしても、ゲラ上でおこなうことになるかもしれない。私の執筆が1か月以上遅れたことが原因である。頑張ったと言っても言い訳にもならない。
 明日の終日セミナーの準備をする前に、たまっている雑務(メール関係が多い)を一つずつ片付けていった。
 ちくま学芸文庫の贈呈先も決めなければならない。最終的には宛て名シールを作成して編集者へ送る。とりあえずリストアップしていったが、迷うことも多かった。
 時間がなくなったので、そういった色々な懸案事項を中断して、明日のセミナーの準備を始めた。通信状態の安定化のためにMacBookAirを使う。講義用PPT資料を移動して、開いてみたら、ビックリ仰天、講義テキスト作成中に修正した内容が反映されていなかった。

9月7日(水)「オンラインセミナー・・・の風さん」
 昨夜早寝したので、6時に目が覚めた。早すぎる(笑)。
 今日は終日のオンラインセミナー講師の仕事なので、朝食を摂った。
 前回の(同社の)オンラインセミナーでは、途中で通信が途絶えるトラブルがあった。今回はその対策で、MacBookAirを使うことにし、先週、事前の通信テストもおこなった。今日は、開始の1時間前に、再び確認をすることになっていた。
 再確認をMacBookAirでやりながら、並行して執筆マシンでもやれる雑務をこなした。両方とも順調に進行した。コーヒーも用意して、準備万端整った。そして、開始時刻。
 オンラインセミナーは受講生の顔が見えず、全員が集合しているわけでないので、場の空気といったものを感じることができない。とてもやりにくいものである。作成したスライドと話術が最大の武器である。しかし、そうは言っても、受講生とのコミュニケーションは極力はからなければならない。なので、途中に演習やクイズを入れている。
 前回はトラブルで昼食抜きだったが、今回は菓子パン1個を食べることができた。全体的に時間配分もうまくいき、最後の質疑応答となった。この時間はたっぷりとってあるが、受講生の人数によって、多過ぎたり少なすぎたりする。今回は、後者だった。最後の時間で発言できなかった受講生がいた。申し訳なかった。
 ということで、今日は、オンラインセミナーで精魂を使い果たした日だった。

9月8日(木)「頭痛・・・の風さん」
 たっぷり寝たはずなのに、疲労はとれておらず、首は痛いは頭は重いは、どうなってんの? しばらく追加で休眠(横になっていただけだが)。ルーチンをこなした後、頭痛がするので頭痛薬を飲んだ。
 新刊の原稿の中に問題点をワイフが発見していた。もし修正するとどうなるか検討してみたら……、それが頭痛の最大の原因のような気がした。長い会社員生活で、こういったピンチは数えきれないほど経験している。あれこれ思い悩んだ末、今回の長編のパートナーである編集者へ、直接、電話で説明することにした。意見交換しているうちに、だんだん気持ちが楽になってきた。これまで原稿やゲラの段階で読んでくれた人は一人二人ではない。誰一人それを問題として指摘しなかったことにはそれなりの理由があったと思う。高慢な言い方をすれば、人間関係がきっちり構築されていたからだろう。理屈上の問題をそれがカバーしていたのだ。そう思うしか気が晴れない。そして、とにかく初版を売り切って、増版もしくは文庫化へと進めることだ。そうすれば、修正の、否さらに良くする、機会が訪れる。
 晩御飯後、今度は微熱を感じた。念のため検温してみたら、36.4度だった(笑)。
 文庫の献本先の宛て名シールの作成と、某機関へ同封する手紙の作成に取り掛かった。頭痛は消えていたが、意外と時間がかかり、就寝予定時刻を2時間も過ぎてしまった。実は、それでもまだ完了していなかったのだが。

9月9日(金)「アウトドアシューズ・・・の風さん」
 久しぶりに出かけるワイフを駅まで送ったあと、早起きのリバウンドでしばらく仮眠(笑)。
 宛て名シール印刷の続きを終えて、今度は私が外出。郵便局の窓口で投函(自分で貼った切手は十分足りていた)、続いて、先日人間ドックを受けた病院へ。先方の会計が間違っていたそうで、百円の返金を受けた。
 帰宅し、トーストとホットミルクのランチ後、再び外出。
 モールに行って買い物。狙いは登山靴もどきもの。来週、ちょっとした山登り(ハイキング程度)がある。取材だ。舗装道路を歩くわけではないので、スニーカーではいけない。かと言って、今後こういったことが何度もあるわけではないので、できるだけ安価にという思いもある。だから、スポーツ用品店には行かない。棚をざっとチェック。ウォーキング、ランニングと続いてアウトドアというのがあった。これだ! たくさん積んであったが、大きいサイズばかり。こういう時ジュニアというのがあると良いのだが、それは専門店だろう。ということで、そこにある一番小さいサイズにした(現代人の足のサイズは大きくなっているのか)。あと雑貨品を購入。
 GSに寄って、キャメロンを自動洗車した。高圧洗浄機を使って自分でやっている時間的な余裕がないからだ。帰宅して、タイヤにスプレーWAXした。
 新刊(長編小説の方)が届いたという知らせが届き始めた。早くキャンペーンモードに切り替えねば……。

9月10日(土)「また原稿修正だ・・・の風さん」
 6時起床。これから地区の草取り作業だ。前回の予定日は、新型コロナ拡大のため急遽中止になっていた。降雨でも中止になるので、中止は珍しいことではない。それで延期になることもない。
 薄曇りで作業環境はベストだなと思い、百均の麦わら帽子はかぶらずに行った。失敗した。まもなく晴れてきて、日差しを受けると暑い。こういう場合は、麦わら帽子にネックファンも装着すれば盤石だが、どちらもしていなかった。ついでに、マスクも忘れた。ま、他人と会話しなければ、屋外だし、いいだろう。
 いつも通りに予定時刻以前に終了した。暑さにはまいった。すぐにシャワーを浴びて着替え、トーストとホットミルクの朝食を摂った。その後、しばらくリビングの床で静養した。
 ホームページの更新をした。今回の主作業は、11月5−6日の全国和算研究大会秋田大会の概要を埋め込む(リンクする)ことだった。大会の概要はWordで作成されていたので、事前にホームページ埋め込みように編集し、Webページのスタイルで保存し直した。そこから、同じく修正した申し込み用紙とPDFに変換した市民講座のポスターへ飛べるように、リンクを埋め込んである。けっこう時間がかかった。
 夜は、明後日の京都取材の準備をしたが、今回の取材ポイントの一つがすぐに見つからず、経緯度で地図上に探したら、想像していたのとまるで違った。既に提出済の原稿を修正する必要がある。やはり、取材はもっと早く実施すべきだった。しかし、できなかった。今さら悔やんでも仕方ない。

9月11日(日)「戦国時代の知識も必要・・・の風さん」
 雨は降らないが、昨日の疲れで屋外作業は回避。屋内でやるべきことを少しでも片付けなければ、明日からの取材に行けない。
 11月の全国和算研究大会の準備の一環で、市民講座のポスターを修正する必要が生じた。手順は覚えているが、簡単にできることではない。PPTで元データを修正し、それを画像とPDFに変換し、応用がきくようにする。HPのリンク先データをアップデートし、関係者へメール添付で伝えた。
 自分の新刊に関してプロモーションの準備が必要だが、なかなかできない。
 そうこうしているうちに、楠木誠一郎さんの新刊が届いた。『47都道府県ビジュアル 戦国武将』(汐文社)である。4冊のシリーズになるが、その第1冊目だ(寄贈書籍のページに画像も追加した)。戦国時代の武将たちをカラフルなイラストと一緒に整理してある。武将の選定は専門的で、有名人だけをそろえているわけではない。全く外見は違うが、昔はこういった内容が、新人物往来社の『歴史読本』で紹介された。専門書を買わなくても、月刊誌で情報が入手できた。秋田書店の『歴史と旅』も同様の価値ある月刊誌だった。懐かしい。
 今月出す自分の新刊や、年末に出す予定の新刊でも、戦国時代の武将の名前が出てくる。私の弱点というか知識の不足している時代だが、やはり江戸時代の前の時代は知っておかねばならない。
 明日からの取材はマイカーで行くので、決めた目的地をあらかじめナビにセットしておいた。ナビを書斎に持ち込んでできるので楽である。

9月12日(月)「取材初日・・・の風さん」
 6時半起床。7時半出発。前日までにしっかり準備してあったので、慌てることなく出発できた。
 取材で京都へ行くのだが、昨年の11月以来、10か月ぶりの京都である。しかも、ネット予約してあるコインパーキングは同じ場所だ。ただ、この10か月でも、新型コロナのために外出は控えていて、体力の低下は不安材料だった。なので、スピードは控えめ(追い越しをほとんどせず)、途中で3回も休憩をとった。2時間程度で着くところへ、3時間もかけてたどり着いた。
 最初の目的地は直指庵だ。おそらく10年くらい前、中井先生に案内してもらい、近くを流れる小川の水を、菖蒲谷隧道を通ってきた水だと教えられた。今回は、ここから京見峠をこえて、菖蒲谷の方まで、あたかも江戸時代にタイムスリップしたような体験をするのが目的だ。なぜなら、空想で既に原稿は書いてしまったからだ。
 同じ目的の現地調査がその後も続いた。パーキングから徒歩で開始だ。清凉寺の西門から築地塀に沿って北へ歩いて付近を探索。二尊院の山門前から、保津川へのルート調査(嵐山公園が執筆時点で頭になかった)。小説の場面にできるだけ近付いて当時を考える。執筆時点の空想が実際に近付く。
 リアリティを重要する私は、当然、他の作家の作品を読むときでも、リアリティに目がいく。リアリティは、別の言葉で言うと、たとえば生活感の有無である。登場人物の収入や、食事、衣服などだ。昨日の気まぐれ日記に書いた楠木誠一郎さんは、当然小説も書いている。今、時代考証的に勉強になるので、『織部の密書』(河出書房新社)を読んでいる。リアリティという点で、とても好感の持てる作品だ。
 それにしても暑い日だった。平日で観光客が少なかったのは取材には助かったが、誰もいなくても、暑さは変わらない。
 初めてのホテルは、今年3月にオープンしたばかりだった。新型コロナが続くことを見越して(客が入らないのだから)、このホテルグループは、新築や改築をして、来たるべきに備えたのだろう。賢い経営者だ。
 腰の万歩計は17000を超えていた。
 明日は曇りという予報だ。今回の目的の中でも、私には過酷な山登り(北嵯峨から旧京見峠まで)になる。

9月13日(火)「取材か山登りか・・・の風さん」
 今日は昨日ほど暑くないだろうと(天気予報も曇りだったので)、私には珍しく京風の朝食を摂ってからチェックアウトし、ホテルを出たのが9時半だった。
 ところが、空を見上げると快晴の青空だった。やば。自販機でスポーツドリンクを購入した。
 大覚寺の駐車場で1日駐車可能にし、首には手拭い、その上にネックファン、アウトドア用の靴にはきかえて、いざ出発。昨日、ルートを確認しておいた直指庵を目指した。ここから、つまり南側からのアタックである。出発点で、唯一むき出しの両腕に虫よけスプレーを噴霧しようとしたら、何も出てこない。空だった(笑)。諦めて、細谷川沿い(右側)にしばらく歩くと、フェンスがあり、私有地につき入るのは禁止となっていた。低いフェンスだったが、乗り越えるには足の長さが足りなかった(笑)。止むを得ず、小川の反対側(左側)へ渡って、竹の多い藪の中を進んだ。やがて、水量の少ない河原があったので、そこを渡って、右側の道路に出た。これで行けるぞと、思ったのもつかの間、やがて、道が途絶えた。江戸時代に使われた長尾越えという山道だが、利用されないでいるうちに、道がなくなったのだ。小川は左へそれながら、さらに続いているので、菖蒲谷隧道の出口や旧京見峠に続いていると思われるが、断念した(無謀な前進はしない)。
 大覚寺の駐車場に戻り、コンビニでパンを買って来て、腹ごしらえをしてから、次の作戦に出た。予定外の、嵯峨天皇陵へ登り、西側からアタックすることにした。ところが、既に体力を消耗していて、石段を登るのがつらい。休み休み登った。そうして、やっと嵯峨天皇陵にたどり着いたが、東にある京見峠へ続くであろう道は、単純でなかった。天皇陵の後ろ側を回ってしばらく歩くと、左右に分かれ、しかも道は下っていた。間違って戻る場合、また登り坂となる恐怖が頭をよぎった。
 そこで、第三のルートを攻めることにした。北からのアタックである。
 大覚寺の駐車場で休養しながら、2本目のスポーツドリンクを飲み始めた。
 周山街道(国道162号線)を通って、嵐山パークウェイに入った。かつて中井先生に案内されたポイントを目指した。菖蒲谷池の南側にあるドッグランの上のパーキングだ。ドッグランは整備中で閉園していたので、観光客は一人もいない。菖蒲谷池が北方に広がっているが、南側への入り口が思い出せなかった。結局、藪の中へ侵入し、そこを発見した。
 菖蒲谷池の取水口までたどり着いた。前回はここまでだった。今日は、ここから斜面を南へ向かって登り、京見峠を目指すのだ。
 北嵯峨方面からと違って、標高差が少なく、まもなく京見峠らしき地点に達した。イメージでは、東西南北からの道が合流している。強運男は、そこでご高齢のハイカーと遭遇した。地元の方で嵯峨天皇陵の方から来たのだ。そこで、情報交換をたっぷり交わすことができた。確かにここが京見峠だという。そして、南側へ下る道は、北嵯峨へつながっているという。しかし、その方は、菖蒲谷隧道を知らず(子どもの頃から住んでいた人でも)、隧道の出口(水が出ている場所)も見たことがないという。この辺一帯の山は手入れをしていないため、草木は伸び放題、一方で台風や豪雨で木が倒れ、使用頻度の低い山道は消滅していくのだという。
 ハイカー氏は東側つまり長尾山方面へ向かい、私は南側へ下って行った。データによれば、経緯度はほとんど離れていず、標高差はわずか29mである。しかし、下っても下っても、それらしい場所にたどり着けなかった。時間的にも余裕はなくなった。余裕というのは、日没で日が陰ってくる時刻という意味だ。そして、体力の残量。再び登らなければ、京見峠まで戻れない。ここまで来たら、あとは中井先生にオンラインでお尋ねしようと思った。
 菖蒲谷池の北側の堰堤付近をしっかり見てから、帰ることにした。今日、3本目のスポーツドリンクも買った。実は、万歩計をホテルに忘れていて、電話したら、ありましたと連絡があったので、帰りに受け取ることにした。
 ナビは嵐山パークウェイの先へ進むことを指示したため、清滝川から保津峡の近くを通り、山岳ドライブとなった。有料道路から出た先は、化野(あだしの)に着き、昨日走り回った嵯峨野を通って、京都駅近くのホテルで万歩計を受け取り、あとは勝手知ったる帰り道となった。
 山登りで足は棒になっていたが、キャメロンを操る私は超人的な元気さで(キャメロンが元気なだけだろうが)、恐るべきスムーズさで(?)、午後8時に帰宅できた。スマホの万歩計は17000を超えていた。

9月14日(水)「どんどん忙しくなる・・・の風さん」
 目が覚めたら、足が痛い。両方の腿(もも)とふくらはぎ。筋肉痛だ。昨日の山登りは立派な筋トレになっていた。何となくうれしくなった。新型コロナの2年間をあらためて運動不足の2年間と認定できた。
 一方、左手首を見ると、ぷつぷつした異常な発疹が見られた。山登りでは、できるだけ草木に触れないように心がけたが、あちこちで触れたのは事実。かぶれたらしい。これは内服薬のアレルギール錠で抑えることにした。
 外出する用事があったので、ワイフとランチついでに出かけた。帰宅して、疲労のため、仮眠(笑)。リビングのフローリングでぶっ倒れていたのだが、暑かった。
 ルーチン後、新刊のサインのやり方を検討した。まだ結論が出ない。自宅分ということで、早川書房と筑摩書房の両方から同時に宅配されたので、急がねばならないが、赤い裏表紙の早川書房は難しい。
 晩御飯後、取材で撮影したデジカメ写真をワイフに見せた。山登りの写真はやはり迫力があり、よく遭難しなかったとワイフも感激していた。しかし、私の取材目的で、解決しなかった部分がある。明日、京都の先生にオンラインで教えていただくことにした。
 短い取材旅行だったが、まだ片付かない。もうすぐ来週の旅が始まる。その準備の方が先だが、まだできない。なんなんだ〜、この忙しさは!

9月15日(木)「オンライン打合せ2件・・・の風さん」
 8時起床。足の筋肉痛が続いている。
 10時から京都の中井先生とオンラインで質疑応答をした。私の山登りの結果を話し、未解決のことに対して、私が撮影した写真を元に教えてもらった。私の疑問はほとんど解決した。
 3回目のアタックで京見峠にたどり着いたのは、ハイカーの言葉通り間違いなかった。なんと先生は子ども時代、ここまで自転車を持って遊びに来ていたという。当時との風景の違いもハイカーと共通だった。山は木が少なく、見通しがかなり良かったのだ。隧道の出口を求めて、そこから北嵯峨方面へ下りて行ったのも、方向としては正解だったという。出口は、左の崖の下、斜面の途中にあって、もし水が激しく出ていたら音が聞こえたはずとのこと。しかし、たとえ気付いても、そこから出口付近に降りるにはロープが必要で、やはり、下から登ってくるのがベターとのことだった。出口付近の様子もしっかり説明していただいた。そこだけは原稿の大幅修正は不要だ。
 14時から児童書のオンライン打合せだった。私の京都取材プラス今朝の質疑応答結果を、急いで整理して、事前にメールで送っておいた。今日の打ち合わせテーマは、表紙カバーなどのデザインについてだった。だいたい終わったところで、前回の宿題事項ということで、事前に送った資料に基づいて、私が結果報告をした。標高約200mの京見峠でも、山登りの写真は衝撃的だったらしい。早くSNSを使って、発信(PR)したい。
 来週の旅の準備ということで、それから急いで3泊分のホテルとレンタカーの予約までできた。あと、新幹線の予約ができて、詳細スケジュールを立てることができれば、ひとまず安心だ。

9月16日(金)「通院が2件・・・の風さん」
 昨夜、キッチンの掛け時計の横に、超巨大なアシダカグモを発見した。先日、浴室から逃がしたクモかもしれない。屋外でゴキをたくさん退治して、その報告に来たのだと思うことにした。まるで芥川龍之介の『蜘蛛の糸』だな。ログのワイフを呼んで、捕虫網ですくいとり、感謝の気持ちを抱きながら、サンルームから外へ逃がした。軍曹(アシダカグモの愛称)は、今後も屋外で活躍してくれるだろう。
 今日も忙しい1日になりそうだ。トーストとホットミルクの朝食後、近くの総合病院へ行った。採血と診察の間に外へ出て、JA、UFJ、ドラッグストアを回ってきた。
 帰宅して、インスタントラーメンの昼食を摂り、ルーチンを片付けてまた外出。キャメロンでクリニックへ。受付と診察の間に、徒歩でホームセンターへ行って買い物をした。午後の受付順位は4番だったが、先客が時間がかかり、帰宅は遅くなった。会社の大先輩から「(新刊が)2冊届いてビックリした」という電話があり、とても嬉しかった。
 作家としての移動はJR東海領域が多い。新幹線はチケットレスで移動する。あまり利用しないJR東日本領域は、これまで現金でチケットを購入することがほとんどだった。今回、えきねっとにあらためて登録し、東北新幹線のチケット購入に挑戦した。昨日、クレカとSuicaの登録を終えておいたので、乗車する列車を決めて、購入するだけだった。
 その後、あちこちへメールを送り、最後は hairdye まで強行して、就寝は午前4時を回った。

9月17日(土)「史上最強級台風がせまる中で・・・の風さん」
 東北の旅出発が明後日にせまっている。準備が遅れているが、台風14号の動静も大きな懸念点だ。移動手段はもとより、現地での活動にも影響が出る恐れが大きい。スケジュールを変更するには、あまりにも直前過ぎる。
 とは言え、準備は進めなければならない。兄貴に電話して、初日の夜、一緒に食事できることになった。
 児童書の原稿のゲラ(プレ初校)が届いた。京都取材で原稿の修正が発生したので、早めに、しかしゲラの形で、赤入れをおこなうことになった。しかし、とても着手できる状況ではない。常に後方から追いまくられているような人生が続いているが、ゴールが臨終だと分かっていても、突っ走るしかないのか。
 新刊のお知らせも少しずつやっている。無名作家はこうやって売って行くしかない。しかし、今回は、この活動は特に重要だ。厚かましいメールでも、送るしかない。やれやれ。
 雨が降っていないタイミングをねらって、墓参に行って来た。供花筒の中にぴょん吉(蛙)がいた。
 長女が単身里帰りしてきた……のは、保護猫カフェへ行くためだ。きわめて飼育が困難な猫に入れあげているので、今回もコミュニケーションをはかりに来たわけだが、我が家でも覚悟を決めた。ケージを設置して、その猫の飼育トライアルに挑戦するのだ。カフェに行ったら、オーナーがいたので、その意思を伝えた。
 残っていた列車の予約を1件終えて、東北旅行スケジュールがほぼ確定した。
 台風14号の動静は、依然として危険というか赤信号だ。上陸寸前で910hPaだ。

9月18日(日)「出発前日・・・の風さん」
 終日、旅行の準備をしながら、台風情報を横にらみしていた。
 明日の午後、東海道新幹線にも影響が出ることが分かったので、当地からの出発時刻を早め、新幹線の予約も変更することにした。
 新幹線の予約画面を見たら、もともと早得で、直前の変更になると割引でなくなるのだが、変更しても割引引き継ぎとなっていた。さすが!
 変更したことで、名古屋と東京での乗り継ぎが1時間早くなるだけでなく、乗り継ぎ時間も長くすることができた。これで、多少の遅れが出ても、大丈夫だ。しかし、出発がだいぶ早くなってしまった。
 新刊の単行本について、出版社からサインを求められていた。出発前の今日、頑張ってすべてサインした。色々と比較した結果、文字は銀色で落款は白である。表紙のデザインとの調和もいい。
 そんなこんなで、純粋の旅行準備が最後になってしまった。
 新刊キャンペーンの旅なので、何とか成功させたい。

9月19日(月)「ズボンが破れた・・・の風さん」
 やや早めに起床した。台風はまだ九州に居座っていた。昨日のうちに先回りのスケジュールを立てておいたので、うまく行くかどうか。
 名鉄電車は定刻に来た。祭日のせいか、あまり混んでいなかった。定刻に着いたので、名古屋で長い待ち時間となった。驚くことに、新幹線も定刻に入線してきた。しかし、いつものこだまグリーンで、のぞみ優先らしく、出発は遅れた(笑)。
 とにかく昨日まで忙しく、名鉄も新幹線もひたすら睡眠不足の取り返しに専念した。こだまも、その後は、遅れたり挽回したりを繰り返しながら、ほぼ定刻に東京に着いた。意外とやるじゃん。
 東京駅では、初めてのeチケット(Suica連携)で東北新幹線改札口を通った。
 待合室で、何もせず時間を過ごしていて、大変な発見をした。なんとズボンが破れていた。先週の京都での山登りではいたズボンだ。長年愛用していたので、ついに限界に達したのだ。感心している場合ではない。
 東北新幹線車内で、iPhoneで検索し、考えた挙句、郡山駅に着いてレンタカーを借りたらすぐユニクロへ直行することにした。予定では兄貴と合流して晩飯を食べるはずだった。
 久しぶりの郡山駅だ。かつておふくろの介護で繰り返したパターンがよみがえる。駅レンタカーを借りた。ユニクロへ直行した。ユニクロでは裾の直しも含めて30分程度で買い物を済ませた。もちろんはきかえた。
 晩御飯を兄夫婦と摂り、会津若松へ向かった。
 真っ暗だったが、3年ぶりの会津若松市内に入り、かつて気に入ったホテルにチェックインできた。古い割引券が使えた。
 風呂に浸かって、酎ハイを飲みながら、明日からのことを考えた。新刊のPRをしっかりやらねばならない。 

9月20日(火)「書店で脱力・・・の風さん」
 2回目の利用になるホテルの朝食(こづゆが出るのがうれしい)を摂りながら、台風通過後の雨が降る外を眺めていると、コロナで封印された2年間をしみじみと思い出す。まだ続くかもしれないが、人生の中の2年は大きい。特に若い人にとっては、貴重な青春の数ページが灰色になったかもしれない。
 早めにチェックアウトし、クルマで目的地の下見に行った。初めて訪問する(地元が中心の書籍を出している)出版社だ。取材を受けるのである。方向は南会津方面だった。場所が分かったので、再び会津若松の中心に戻って、・・・と思ったが、鶴ヶ城までも戻ることができず、再び目的地に。
 社長と編集者のインタビューを受けた。編集者は『鬼女』をかなり読んでいて、私が目指すリアリティに感動してくれた。そういったリアリティをどうして小説に盛り込むのか、またリアリティの研究の仕方など、私の執筆スタイルに隠し事はないので、何でも語った。相手も面白かったようだ。
 社長はさすがに業界に通じておられ、共通の話題が多く、今後のおつきあいに期待が高まった。
 出版社で話が盛り上がり、時間がなくなってしまった。コンビニでパンとコーヒーを買って、次の目的地、福島駅前の書店へ急行した。雨は相変わらず降っているが、台風の影響は感じられなかった。
 新刊のところに『鬼女』が並んでいた。もう一つの新刊『遊歴算家・山口和「奥の細道」をゆく』はご存じなかったので、紹介すると、一緒に並べておきましょう、と言ってくれた。それだけで(サインも求められず)、あっさりと終わってしまい、脱力した。コインパーキングの精算をしたら「0円」だった。
 とにかく、今日のミッションが終わったので、仙台へ向かった。3か月ぶりの仙台だが、この道をクルマで走るのは、実に久しぶりだ。
 宿泊するホテルは、先週京都でも利用した同じグループである。駐車場は付属していないので、近所で選んだパーキングにとめた。
 夕方から、国分町で恩師や同窓生と集まった。6月の講演会の後と同じパターンである。あの時はゆっくり話ができなかったが、今回は、じっくりできた。途中から、6月に会えなかった東北放送の記者も合流してくれて、延々と和算の話をした。私は和算は数学だけではないということを強調した。
 同窓生に促されて時計を見ると11時を回っていた。私の悪い癖で、エンドレスにやっていた。懲りないことだが、猛反省である。

9月21日(水)「またやっちまった・・・の風さん」
 少し早めにホテルをチェックアウトした。恩師のアドバイスで訪問先の書店が一つ増えたからだ。
 パーキングまで行って、荷物を車内に置いて、いくらか身軽になって歩いていたら 、昨日から家族にスケジュールを伝えていなかったことに気付いた。iPhoneをポケットから取り出して、操作しながら歩き続けた。
 それが終わってしばらく歩いているうちに、ふと思い出したのは、ポケットにiPhoneと一緒に入れていたホテルの会員証だった。チェックアウトした時、財布にしまうのを忘れていた。ところが、手をつっこむと、ポケットの中になかった。落としたのは間違いなかった。またやってしまった。目の前に自分の棺桶を見る思いがした。先週の京都以来、何度も感じていることだ。
 歩いたコースを逆にたどりながら探したが、見つからない。そもそも歩いたコースを正確に思い出せない。
 そのままホテルに戻り、フロントで事情を告げ、新しいナンバーの会員証を発行してもらった。貯まっているポイントも確保できた。やれやれ。
 今日最初の目的地である仙台三越の地下にある書店へ行き、続いて、恩師のアドバイスがあった別の書店を訪ね、著者であることを言いながら、挨拶をし、パーキングへ。再び福島県へ戻る。この部分、あっさりとしか書いていないのは、昨日と同様に、脱力したからだった。無名作家の悲哀を感じた。
 途中のSAでパンを買って昼食にし、『鬼女』の執筆でお世話になった、土湯温泉のこけし屋さん山根会津屋と、二本松の若松屋書店へ回った。土湯温泉から二本松へは(こけし職人のご主人が教えてくれた)塩沢街道を通った。このコースは知らなかった。もしかすると、江戸時代も多用された近道だったかもしれない。
 若松屋書店へ行く前に、台運寺に寄って、墓参をした。『鬼女』の架空の登場人物だった人たちが、実在の人物と重なったのは偶然だったが、決して単なる偶然とは思えない私は、こうやって若松屋書店のご先祖様にも出版できた感謝を伝えないわけにはいかなかった。墓地は、店主が以前お話ししていた通り立派に整備されていて、私はその中の古い墓石の前に『鬼女』を置き、両手を合わせた。
 若松屋書店では、店員さんたちの努力もあって(手作りポップもあり)『鬼女』が売れていて、残りが少なくなっていた。それらにサインをさせてもらったのは言うまでもない。公式訪問の書店で味わった脱力感を一気に元気に変えた。
 郡山駅でレンタカーを返却し、駅前のホテルにチェックインし、夜は、これも数年ぶりになる同窓生との情報交換だった。しかし、その前に、近所のデパートにある書店を訪ね、『鬼女』やちくま学芸文庫のPRをしてきた。既に閉店近く、客も店員も少なかった。しかし、応対してくれた店員の態度は親切で、訪問してよかった。
 歓談は今夜も長く続き、冷え込む駅前を歩いて、ホテルに戻った。

9月22日(木)「寒い夜は鍋料理・・・の風さん」
 疲労が重く残っているのか、自分のいびきで目が覚めた(気がした)。かつて、いびきを自覚した時、自分で強引にいびきを押し殺し、それ以来いびきをかいたことはない(と思っていた)。私は、他愛ないしゃっくりも、強引に横隔膜を緊張させて押し殺す。
 結局、早起きしてしまった。荷物がかなり増えてしまったので、それも気になっていた。もう台風の影響は皆無と言ってよかったが、寒い。
 朝食も早々に済ませ、ホテルをチェックアウトした。駅内の大きな土産物屋はまだ開店していない。キオスクで今日のための土産を買い、eチケットで改札を通って待合室でゆっくり過ごした。
 東北新幹線の中で、気まぐれ日記の下書きを書いた。
 東京では、最初に、神田の早川書房へ寄り、(半分プライベートだが)出張報告をした。書店で脱力したが、長女が名古屋の書店をチェックした報告が来ていたので、少し補うことができた。5年間粘り強くサポートしてくれた編集者へお土産を渡し、今後の活動方針を確認し合った。
 次に訪問したのは、蔵前の筑摩書房である。こちらは、早川書房とは好対照で、11月の全国和算研究大会秋田大会に間に合うように、超高密度の仕事をしてくれた。やはり感謝以外、語る言葉はない。次の仕事を狙う私に、上野先生の本の解説依頼が来たのには、驚き以上に、畏れ多いことで、何とも恐縮してしまったが、「もう断れませんね」と、押し出された(まるで相撲か)。
 帰りのこだまでは、しばらくできなかったツムツムを死ぬほどやったが、へたくそで、結果は出なかった。
 帰宅し、晩御飯の鍋料理が、急に寒くなった気候にぴったりだった。
 今日届いた、キャットケージ(長女が選定・注文した)は、明日組み立てることになる。

9月23日(金)「キャットケージの組立と設置・・・の風さん」
 たまっている仕事がたくさんあって、どれから手をつけようかと迷いながら、とりあえずホットミルクを飲んでいたら、ワイフから「キャットケージを組み立てなきゃ」とプレッシャーをかけられた。明日長女が来るので、それまでに作っておかないと、保護猫サラちゃんを引き取りに行けない。
 まあ、何から始めても同じだろうと、浅はかな私は同意した。
 ホットミルクを飲みかけていたが、一気にブランチだ。腹ごしらえをしてから肉体労働というわけだ。
 キャットケージは組み立て構造にフレキシビリティがあり、説明図通りに組み立てて終わりではなかった。何しろ3層構造で、扉が3つと猫用ドアもある。棚も3つある。このケージの中へ、トイレやエサ置き場、キャットハウスからキャットタワーまで収納する。高さだけでも180cm以上あるのだ。
 こうなると、長女の意向を無視して組み立てるわけにはいかない。途中から、ラインのビデオ通話機能を使って、長女も参加しての組み立てとなった。
 だいたい完成したのは、夕方のホットタイム前である。
 ホットタイムにしながら、ケージの周囲のうち二面をビニールで囲う必要があることに気付き、朝からずっと降っている雨の中、買い出しに行くことになった。
 帰宅して晩御飯を食べ、購入してきたビニールで囲うのを終え、定位置に設置し、キャスターのストッパーを固定したのは、午後10時近かった。
 それから作家業? 今から徹夜する気力も体力もなかった。

9月24日(土)「サラちゃんが来た日・・・の風さん」
 来週の上京計画ができていなかった。行きの新幹線とホテルを予約した。翌日前半の移動計画までできて、とりあえずホッとした。
 すぐできる歩いて投函も終えて、ホッとした。
 長女を駅まで迎えに行ったのは、いよいよ保護猫サラちゃんを引き取りに行くからだ。長女はるんるんらんらん舞い上がっているが、私は内心不安で不安で落ち着かなかった。不幸な育ちをしたために、全く人になついていない猫なのだ。
 一度、トライアルのために保護猫カフェでケージから出そうとした私は両手を負傷した。サラちゃんはパニックになったからだ。今日はオーナーがケージから出してくれる。キャリーに入れたあと、我が家まで連れて行くが、その間、どんな状態になるのか、人に慣れている猫でもさまざまだった。無事に連れてこられたとしても、ケージにどうやって移すか、新しいケージに入った直後、どんな反応を示すのか、さまざまな状態が想像されるだけに、私の頭の中が既にパニックだった。
 夕方、長女と二人で引き取りに行った。オーナー以外に店員やボランティアが何人も現れたが、全員が、ここで一番難しい猫だと言う。それなら、引き取れるのはうちしかないと私は思う。最後に、10日経ったらもう戻せないと思ってください、と言われた。覚悟を決めろという意味だ。
 ネットにくるまれ、キャリーに入ったサラちゃんはおとなしくなった。道中も、おとなしかった。うちのケージに移す手段も、慎重に手順を考えて工夫したので、できた。サラちゃんはずっとおとなしかった。
 そして、その後も、ずっとおとなしいままだった。ほとんど動かない。鳴かない。何も食べない、水も飲まない、トイレにも行かない。一番上のキャットハウスに入っていることが多かった。臆病な猫なのだ。
 そうして、1日が過ぎて行った。

9月25日(日)「サラちゃんに変化・・・の風さん」
 長女はずっとサラちゃんの面倒を見ている。しかし、サラちゃんは音無し(鳴かない、食べない、飲まない、出さない、ほとんど動かない)だ。ひたすらテレパシーのように愛情を注ぐ。
 午前中に『鬼女』のサイン本を出版社へ宅配で送った(2回目)。昨日の大雨の影響で遅延が予想されるとのことだった。もう穏やかな気候の日々は当分(何十年あるいは百年ぐらい)望めないのかも。
 今週の上京スケジュールの細部の詰めが残っている。しかし、それ以上に、来週の秋田行きのスケジュールがまだほとんど確定していない。それらを決めていくために、私はサラちゃんと交流している余裕はない。
 幸い天気は好い。お彼岸なので、やっとワイフと墓参に行った。長女はサラちゃんから離れることができない。
 今月二度目の墓参なので、台風の襲来はあったが、お墓はそれほど汚れていなかった。
 ホットタイムの時に、ふと思うと、我が家に来てからほぼ24時間、サラちゃんは音無しだ。こういう事態は予想していなかった。しかし、よくよく考えてみると、新しい環境に(それがどんなものであれ)衝撃を受けておびえているようだ。パニックの反対の音無しなので、ついつい勘違いしていたらしい。この新しい環境を受け入れるまで、私たちも優しくおだやかに接しなければならない。
 晩御飯の前から、サラちゃんに初めての変化が出始めた。長女の懸命な努力で、やっと食べ物を口にした。さまざまな種類のキャットフードを次々に提供して、食欲をそそっていた成果だった。そして、ついに、トイレに入り、初めてのオシッコもした。きわめてゆっくりだが、一連の変化は、私たちを感動させた。不幸な生い立ちの保護猫なのである。
 務めを果たした長女を、深夜、名古屋まで送って行った。車中で、家の監視カメラを通じて、サラちゃんの様子を見守った。

9月26日(月)「サラちゃんは前進・・・の風さん」
 来週の秋田訪問の関係で、秋田県のある町役場へ電話し、町長との面会時間の調整をお願いした。その後、徒歩で投函に行き、2通を投函した。毎日バタバタと仕事をしているが、収支度外視の、これは私の生き様だから効率も気にしていない。しかし、それで本当に良いのだろうか、とふと歩きながら思う。世の中の役に立っていることが生きる価値だと先輩たちは言う。その通りだと思う。しかし、その手段の選択となったとき、たまに迷いが生じるのは、社会人になってから、働くことが楽しく、充実していて幸福感を味わっていたために、なぜか罪の意識を感じることがあるからだろう。
 迷いが生じるのは疲れている証拠でもある。しばらく横になった。
 少し元気が戻ったので、屋外作業に出動した。気になって気になってしょうがない、裏の土地の草刈りだ。ワイフの教室の生徒さんが駐車するゾーンがひどかった。バッテリー1個分だけ刈った。この続きは週末にやろう。
 ホットタイムの時、サラちゃんがまた前進したことが分かった。水も飲んだし、トイレで初うんちもしたのだ(笑)。ちなみにサラちゃんの水の飲み方は面白い。手ですくってその手をなめる。何度も何度も繰り返す。保護猫カフェで見て驚いたが、うちでもやった。サラちゃんは保護猫(多頭飼いの犠牲からの救助)だが、種類は珍しいミヌエット(マンチカンとペルシャの合いの子)で、毛の色が長女に言わせるとピンクベージュで美しい。
 児童書のゲラの修正にやっと着手した。これ以外にもやることが膨大にあって、頭がくらくらしてくる。

9月27日(火)「ゲラ修正が終わっても・・・の風さん」
 午前中に終わらせたくて、キャメロンで出かけた。地元の名産の塩をお土産に購入し、UFJのATMに寄ったあと、ドラッグストアでまとめ買い。ゴキの毒えさの交換時期だ。
 昨日に続いて、児童書のゲラの修正。明日、編集者へ直接返却する。先々週の京都取材の結果を反映させなければならない。しかも、大修正でなく(ページ数を増やしてはいけない)。
 修正は順調に進んだが、新たな問題が発生した。中井先生とのオンラインでいただいた助言に基いて、ため池の構造を調べたら、江戸時代から基本的な工法が決まっていたのだ。おとな向けではないので、詳細説明は不要だが、間違いであってはならない。そこも修正を加えた。
 夜になって、やっと修正が終わったが、登場人物一覧を作成する仕事が残っていた。この案も作成しなければならない。いちおう原稿をすべて読み返したので、重要な登場人物は再確認できている。
 一泊した明後日は、某出版社を初めて訪問する。何らかの企画を持っていた方がよいので、その準備を始めたが、既に時間切れだった。
 こうしている間にも、全国和算研究大会での初企画「市民講座」の課題が次々に浮かび上がっていた。

9月28日(水)「紅さんの芸道45周年独演会・・・の風さん」
 出発のギリギリ前まで、準備に追われた。何しろやることが多過ぎる……否、効率が悪い、のろい、ボケている(笑)。
 サラちゃんに他人の目で見送られたのは悲しかったが、仕方ない。
 名駅ですぐ新幹線には乗り継がなかった。長女が事前チェックしていた二つの書店に挨拶することにしていた。冷たい反応には先週で慣れたので、平然と実行するだけだ。それぞれ、店内に入って、先ず拙著の検索をおこなう。新刊2冊は当然だが、他にも在庫がないか確認し、どちらも在庫のある4冊をプリントアウトした。店員に近寄って、著者であり、今月の新刊が2冊あること、児童書やノンフィクションも書いていること、愛知県在住であることを告げた。よろしくお願いします、でおしまい。
 これまた長女がお勧めのカフェに入り、サンドイッチでランチにした。書店での冷たい反応によるショックはなかった。
 新幹線に乗り、車中では、秋田の新聞社からの依頼原稿を書いた。意図的に、市民講座のPRになるように書いた。
 東京に着いて、あらかじめ立てた計画通り、半蔵門線沿線のホテルにチェックインし、そこから国立演芸場へ向かった。最寄りの駅が、半蔵門線の大手町や半蔵門だからだ。
 神田紅さんの芸道45周年独演会に行った。長年のファンばかりが集まっていたようだ。演芸好きのエージェントと一緒で、今日の演目は楽しいものだった。ただ、新型コロナ対策が随所に見られ、終演後の見送りもなく、寂しい退場となった。
 地下鉄の駅まで歩きながら、私が「軽く一杯飲んでいきますか」と提案し、エージェントが「あそこの中華レストランに入りましょうか」と応えて、そこへ入った。それほど大きなレストランではないが、どうやら予約客で埋まっているらしく空いている席ははしっこだけだった。私たちがその席につき、まもなく隣の空いている席にも客が入った。もう誰も入れそうもなかった。
 エージェントが「ひょっとして、紅さんのスタッフのための慰労会がここであるのでは?」と鋭く指摘した。だんだん、予約席に人が入ってきたが、どうも受付やグッズ販売のところにいた人たちのような感じだ。
 最後に現れたのが、私の大好きな紅さんだったのは言うまでもない。彼女も私が来たことは知っていたので、お互いに顔を見合わせて笑顔。「偶然ここに入ったのです」と言うと、ビックリしていた。会場で撮れなかったツーショットをエージェントに撮ってもらった。最高に幸せな気分になった。

9月29日(木)「前進すれば気持ちも前向きに・・・の風さん」
 ホテルの朝食にちゃんこ鍋があった。小さな鉄鍋に入っていて、可愛かったので、思わずとってしまった(笑)。
 食べながら、外を眺めていると、通勤途中と思われる人がたくさん通りを通過していく。自転車の人の中にはマスクをしていない人もけっこう多い。強力な新変異株が出てこなければ、徐々に終息に向かっていくかもしれない。ワクチンや薬の開発が追い付いていないので、祈るしかない。
 早々にチェックアウトし、地下鉄早稲田駅の待合場所へ向かった。今日は、エージェントと初めての出版社へ挨拶に行く。私には信じられないことだが、社長さんが私に会いたがっているそうだ。
 実際にお会いしてみると、その通りで、和算を題材にした児童書の構想案をお持ちだった。できればシリーズ物で出したいとのことで、私にはどちらも挑戦テーマであり、大歓迎だったから、即お引き受けした。
 その後、エージェントとランチを食べながら、色々な情報交換をした。
 帰りの新幹線では、昨日の依頼原稿の続きをやった。だいたい目途が立ってきた。
 来週の秋田行きの準備も少しずつ進んでいて、これなら1週間後に、また上京できそうな感じがしてきた。
 仕事が少しずつでも進んでいくと、気持ちが前向きになっていく。書店ショックから立ち直れるかもしれない(笑)。
 留守中にワイフが『鬼女』を読了していて、やっと感想を聞くことができた。私も著者としての想いを語ることができた。

9月30日(金)「サラちゃんも前進・・・の風さん」
 来週は秋田へ行くので、それまでにやることがたくさんある。
 秋田大会の前に新聞で和算の記事を出してもらうことができる。そのための原稿を、東京往復の新幹線で下書きした。それを完成させておくことが大事だった。下書きはそこそこできていたので、全体の形を整え、記者が選んで使えるように、和算関係の画像もいくつか用意した。準備ができたので、メール添付して送付した。これでひと安心。
 サラちゃんのトイレ消臭器が届いた。安物だが、実用的かどうか確かめるため、ケージに装着することにした。ビニールカーテンを先に改良した。サラちゃんが亀や屋外を見やすくした。続いて、消臭器をセットした。電気式なので、延長コードを設置して接続した。消臭方式はオゾン式だ。発生と停止を繰り返すのだが、発生中にもしサラちゃんがトイレに入ると、発生は停止する。オゾンは匂いがあるから、抵抗感があるかもしれない。しかし、停止中も作動音がするのは気になった。結局、必要時(たとえばトイレ掃除をした後とか)に1時間程度稼働させるのが良さそうだ。
 夕方から長女がやって来て、サラちゃんとの交流をした。ドアを開けて手から食べさせたり、キャットタワーで爪とぎをさせたりした。短時間でも前進した。
 児童書の方も、あれこれとエージェントへ送るデータが生じて、対応した。いちおう一段落した。
 晩御飯後、疲れてダウンしている間に、長女は電車で名古屋へ帰った。


2022年10月はここ

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